一流高専生の受験奮闘記

はじめに

前回(以下のリンク)の続きのような内容です。前回の記事を読んでいる前提で作成しています。

 

motatona.hatenadiary.jp

 

前回は多分年越し前くらいで情報が止まってると思うので、正直あまり覚えていないのですが続きについて書きます。

前回の記事を見るに、模試の結果だと関大、近大がE判定で大経大がCというところらしいですね。結果としては、関大全落ちで近大の前期A高得点重視方式で合格(普通のやつは不合格)、大経大、桃山大は受けたやつ全部合格でした。センターの点数はどっかやっちゃったので発掘したら更新します。

 

 

受験直前、何をしていた?

受験直前といえば多分1,2月でこの記事を書いているのがもう7月なわけで半年経ってますから正直あんまり覚えていないのですが、主に自習時間で過去問を解いていたと思います。

英語

特に関大の英語は長文が2題(?)出てるため、特に集中力が必要で最初の頃は多少傾向の違う古い問題を集中力を保つ練習をするために解いていたと思います。しかしながら、関大の英語は長文読解だけではなくて文法問題も長文に絡めて出題されるので、文法の問題集も解いていました。

国語

現代文は「きめる!センター現代文」(ISBN:4053041112)を読んでからはその前に比べて得点率はだいぶ高くなりました。過去問解いて間違ったところの解説を読んで、後は漢字の暗記くらいだったと思います。古文は嫌すぎたのでほぼ覚えてないです。過去問と文法をやっていたような気がします。

 

政治経済

暗記科目なので、問題解いて間違えたところを暗記してという作業の繰り返しです(もちろんある程度暗記したという前提)。大学ごとの違いは範囲ぐらいなので、大学によって傾向が大きく違うみたいなのが少なく、対策がしやすいです。脳死の作業ゲーなので他の教科に飽きたときにしてました。

 

具体的な学習方法(?)

自己流ですし、学習方法なんて合う合わないがあるかと思いますので、誰かの参考になればな~って感じです。半年経ってるので細かいことはあまり覚えていません。

 

英語

英文の読み方なのですが、固有名詞とか「○つめの~」、「○つあります」、「○つ目は~」とかキーになりそうな単語を丸で囲む、動詞の下にVと書く、文字で数字を書いてる箇所に数字を書く、andとかorとかに△を書く、butとかhoweverとか↔を書く、何度も出てくる単語(熟語)に線を引く(もちろんIとかareとか普段から頻繁に出るものでは無い)といったような印をつけることによって読んでる最中に理解しやすく、また、後から見返しやすくしていました。単語は予備校で配られたものとターゲット1900を同時にやってました。どっちもある程度進んでくるとかぶりが多くなるので案外進めれます。が、多分2週くらいしか出来てないです。

 

国語

現文は問題解いて漢字を覚えて、重要単語を覚えるくらいしかしてないと思います。評論文の具体的な読み方は、逆説の単語(だが、が、しかし、etc.)、筆者の主張を表しそうな雰囲気の単語(とは、要するに、etc.)、否定(ではない、ではなく、)といったような単語に○を付けて主に「~である。」で終わる筆者の主張を表す文に線を引いていました。多分ベタのやり方だと思います。小説は覚えてないです。過去問みても本文に何も書いてないのでどうやって解いてたか覚えてないですが、小説の世界に入り込まずに読んでいたのは覚えてます。

古典は嫌すぎたせいか全く記憶にありません。

 

政治経済

気になった単語について時代背景とかことがらについて、もう手元の資料より少し深掘りしてみると周辺の出来事やことがらについて関連づけて覚えることができて、因果関係を構築(?)出来るのでおススメです。私は政経が割と好きだったのでこのようにしてましたが、特に興味が無い人はランダムに選んで深掘りしてみるといいかもしれません。筆記がある人は人名とかことがらについて暗記にあいまいな点が無いようにしておくのを強くおススメします(当たり前ですが)。

 

受験を振り返って

英語と古文は単語力があればゴリ押しできるところはできるので単語力をもっとつけるべきだったなと思ってます。単語の暗記を始めるのが割とのんびりしてたので一日でも早くやるべきだったなと後悔してます。7,8月頃は割とのほほ~んとしてたような気がするので、そこの時間でもっと演習量を増やせば英文読解や現文の精度が上がってたかなと思ってます。たまには息抜きも必要なので月1くらいで友人と会っていたのは良かったなって思ってます。結局、関大に落ちて近大に通っているわけですが、そこまで関大にこだわりがあったわけではなかったので、まあこんなもんかって感じで納得してます。二度とやりたくはないですが、高専を抜け出せたことはもちろん、自分がどれくらい頑張れる人間なのか、自分の出来ることと出来ないことが少し分かった気がするので、これらの点では受験してよかったなと思ってます。ただ、予備校と受験費で100万ほど親に出させていて、高専に通っていれば年30万弱で済んでいたということをどうしても考えてしまうので、受験して良かったと言い切れるかというと微妙です。

【第16話】一流高専生の受験奮闘記(仮)

はじめに

みなさんこんにちは。同期が大学に「編入」するのに合わせて大学に「入学」するもたとなです。アドベントカレンダーに他の方々も面白い記事をたくさん上げているので、是非見てみてください。

 

この記事では高専を休学(実質退学)して大学受験している話について書きます。拙い記事ですが、最後まで見ていただけるとありがたいです。

恋人に支えられました!というのは無いのでご安心を。

 

辞めるまでの経緯

実を言うと高専入って1,2ヶ月くらいでなんとなく「高専辞めたい」という考えはありました。このころは寮生活が厳しかったということが大きいですが、寮を去ってから今まで、この考えは消えることがありませんでした。

この記事を見ている人は高専生がほとんどだと思いますが、みなさん一度は「高専辞めたい」の気持ちになったことは無いでしょうか? にも関わらずやめない理由は、やめるデメリット(労力)が大きいと考えているから高専にしがみついているのだと思います。

さらに、僕が高専に入れたのは割と奇跡的な感じで、合格したと親に伝えたときも疑われたくらいのまぐれです。こんなこともあって、「せっかく入れた高専を辞めたくない」という気持ちが僕をより高専にしがみつかせることとなりました。

 

入学後の概略

1年生を1教科2単位の不可をもちつつ進級し、2年生を担任の見えざる手によってだいぶギリギリで上がりました。

 

3年生、過年度不可の負担もあり(言い訳)無事留年。この時の担任に親も一緒になんか説教され(クソ腹立った)、高専をやめるか続けるか、3日くらい考えましたがこの時の結論は「続ける」というものでした。(退学しとけばよかったのに)

 

2回目の3年生。最初の自己紹介タイムの時に爆睡していたらしくぼっち生活の幕開け。(社会不適合者)

「これ1年前の授業でやったところだ!!!」ともあまりならず5教科9単位というなかなかの低空飛行でなんとか進級しました。

 

4年生。専門の難易度も上がり3力(熱力学、流体力学、材料力学)とその他の専門の登場により完全に「高専辞めたい」の気持ちになりましたが、この時もまだギリギリのところで高専を続けようと思っていました。

 

トドメを刺される

この「高専やめたい」の気持ちにトドメを刺し、「高専辞める」の決断をさせたのは、某ヤバい英語教員の不可解消試験を受けるための課題でした。例文をノートに20回か30回(忘れた)書き写して提出するという課題でした。(割と量がある)

そんな課題を授業中にやったり、睡眠時間を削ってやっていました。単位を取れていないので言う資格はないかもしれませんが、何の意味があるのかよく分からなかったですし、今もわかんないです。

この課題で「自分がこの学校にいる意味無いな」と思って学校を辞めようと決意することになりました。

これはあくまでトドメを刺したことなので、学校を辞めるのには他にも理由があります。

 

高専を辞める理由

※気を悪くされる方がいるかもしれませんがあしからず。

 

まず、僕はそこまで勉強を頑張れないです。

僕の持論では学力は親の経済力とその人の頑張り力で決まると思います(もちろん例外はあります)。知り合いで私文(私立文系)に行った人は何人かいますが、たいてい「私文に行ったらフル単いけた」と言います。失礼ですが、1年から単位を落としてたりした成績不振者が多いので驚きです。高専にいる成績不振者を見てみるとだいたい勉強をしていない(頑張ってない)人だと思います。高専に入れてる時点でやればできる人であると思うので、そういう人はやってないか頑張れないかという人だと思います。

 

2つ目の理由は今までのツケを清算することです。

勉強は階段を上り続けることです。階段を上ることを怠ると巨大な段が誕生し、壁を乗り越えることになります。僕は1年生のころからさぼりまくっていたので、4年生になった僕には一般教科も専門教科も大きな壁となって立ちはだかりました。

 

3つ目は親から辞めることとなんとなく勧められていたことでした。

特に母親は高専に合格してすぐに高専を蹴って高校に行くことを勧めてましたし、入学してからも高専を辞めて大学受験を勧めていました。

 

 

こんなことが日々積み重なり不可解消課題にトドメを刺され、学校を辞めると両親に伝えました。この決意から休学届を出すまでわずか3日程度でした。

 

高専を辞める

 6月末のある日のことでした。

僕「高専やめて私文行っていい?」

母「やっとその気になったんか。文転するなら早く受験準備せなあかんし明日にでも休学届貰ってきてね。」

家庭内での出来事は大体こんな感じでした。スピーディー。

家庭内の処理は終わったんで残るは学内の処理です。

 

当時の僕の肩書は図書委員長兼放送部長で引継ぎがありました。放送部長の引継ぎはまあ良かったんですが、副図書委員長を決める時に「副委員長は仕事無いけど多分ESに書けるし得やで!」とか言ってやらせてしまったんでめちゃめちゃ申し訳なかったです。(優しい子なのでやってくれました)

これで役職の引継ぎは終わりで、放送部に3日くらいで技術を詰め込んで(?)高専にさよならバイバイしました。

 

予備校に行く

高専を辞めると次は予備校に行くわけですが、入る時の実力テストで驚きの偏差値が。

 

英語:37.8

現文:46.3

古文:30.7

政経39.8

 

うわっ…私の偏差値、低すぎ...?

 高専時代の古文は1年の1/3くらいの授業でもう終わってたのでいいんですが、英語と現文と政経マジかよ...って思いました。でも英語なんも分からんかったし高専の国語で単位落としてたし高専政経はあんまり政経じゃなかったし、残当って感じですね。

 

授業を受ける

高専の授業爆睡してたアホが予備校の授業を受けると知らんことだらけでビビります。

英語でいくつか例を挙げると

 

・前置詞の後ろは名詞か代名詞か動名詞がくる。

・文型(SVOCとか)というものが存在し、それによって大体訳のパターンが決まる。

 

みなさん知ってました?弟に聞いたら中学生でやってるらしいんですけど、僕は知らなかったです。

政経は大体暗記ゲーなので別ですが、他の現文、古文、英語は基礎的な知識が無さ過ぎて自分の無知さを思い知りました。

政経以外は今でも「そんなんあるんや」の連続です。あと、授業では文法とか長文の解説はしてくれますが、単語を覚えないと実際には使えないので語彙力がかなり重要ということに気付きました。弟が使ってる単語帳が良さそうだったので、弟と同じ単語帳を買ってちょっとずつ覚えることにしました。

そして、陰キャである自分は講師に質問するのが苦手なので分からなかったら弟に質問しています。プライドとかは捨てましょう。

志望校を決める

大学受験をするからにはどこを志望校にするか決めなければいけません。

予備校入学時は大学受験事情をよく知らなくて「とりあえず近大?あっ、でも関大もレベル的に近いし関大を第一志望にするか()」みたいな感じで第一志望から順に関大、近大、大経大、桃山にしました。(志は高くね)

 

模試を受ける

予備校の実力テストでは志望校判定が出ないので7月中旬から予備校に通い始めて約1か月が経った8月中旬に河合のマーク模試を受けに行きました。偏差値の結果は

 

英語:46.7

国語(現文+古典):40.6

政経64.5

 

単純比較はできないですが、政経だけ伸びが異常ですね。直前の講習がだいぶ効いてたみたいです。しかし、国語と英語の安定の悪さ。判定はもちろん関大から大経大までE判定で桃山だけA判定でした。

 

次の2つは比較がしやすい同一の業者によるマーク模試です。(ベネッセ駿台マーク模試)

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9月(学内偏差値)

英語:43.8

国語:38.6

政経:63.9

総合:48.3

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11月(学内偏差値)

英語:51.3

国語:51.4

政経:54.2

総合:52.4

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ちょっと見にくくて申し訳ないです。(HTMLが出来ないので)

全体で見ると伸びてますが完全に政経が事故ってますね。模試で偏差値60にのって完全に慢心してました。全体での偏差値が上がったことによって入試方式によっては近大でD、大経大でCが出るようにはなりました。

 

入試について

これを読んでいる人は入試制度についてよく知らない高専生が多いと思うので簡単に解説をします。

 

私立文系の大学入試の方式には大きくわけて「センター試験利用方式(C方式)」と「一般入試(A方式やB方式など)」に大別されます。

センター利用入試は大学入試センターが行う大学入試センター試験を受験して、大学入試センターから提供される点数を用いて各大学が合否判定を行います。

これに対して一般入試は各大学が独自の試験を課し、その点数を用いて合否判定を行います。

C方式と一般を合わせた「センター試験併用方式(PC方式)」も存在します。

さらに、近大と桃山では各方式に「スタンダード方式」と「高得点科目重視方式」が設定されており両方式で併願でいますが、スタンダードがベースとなっており高得点重視は課金アイテムです。

また、関大は標準の配点が英語、国語、選択(政経)の順に200、150、100となっているのに対し「同一配点方式」が設定されており、こちらでは全ての科目が150点ずつとなります。(こちらは同一試験日での併願は不可)

 

このように、各大学では受験をビジネス化するためか様々な受験方式、課金アイテムを用意することで1人でも多くの志願者を募ろうとしています。

他にも、大学によって試験科目が違ったり併願の出来る、出来ないがあるなど入試計画を立てること自体が難しいです。

 

現時点でのまとめ

ここまでだいぶ長くなってしまったのでなるべく手短にまとめます。

今のところは関大、近大がE判定で大経大がCと出てるようにこの3校は受かるか分かんないです。しかし、英語だったら単語を覚えて長文を音読してみるとか政経の一問一答を解いてみるとか頑張れない人なりに頑張ってみて、それで入れた大学が今話題の「身の丈」にあった大学だと思います。

 

 

長文、そして拙い文章でしたが最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

【第13話】所属してた部活についての色々

はじめに

みなさんこんにちは。部長兼委員長なのにいきなり学校を辞めて混乱に陥れたもたとなです。この件に関しては後日、アドベントカレンダー内でまた上げさせてもらいます。他の方々も面白い記事をたくさん上げているので、是非見てみてください。

 

初めましての人がいるかもしれないので一応自己紹介をしておくと、多分2015年度に奈良高専電子制御工学科に入学して3年をダブって4年の6月末から休学している人です。

この記事では所属していた部活について振り返ります。拙い記事ですが、最後まで見ていただけるとありがたいです。

 

 

所属していた部活

放送部

何すんの?

高専で行われる卒業式を除いたほぼ全てのイベント(学生会総会から高専祭まで)の音響設備の設置、及び運用(Public Address 以下、PA)を各団体や学生課からの依頼に基づき行います。

 

 

 

 

放送部にいた約3年を振り返って

入部までの経緯

僕が放送部に入ったのはまだ寮生だった2年になったころでした(寮は2年の途中でやめました)。

当時、寮の隣人だった人が放送部に入るということを話していたのですが、当時の僕は4アマ免許を取ろうと考えていたこともあり、てっきり無線系の部活と思い込んで隣人と一緒に行ってみました。

が、先ほども記述したように(奈良高専の)放送部は無線関係ではなく音響関係でした。しかし、僕は音響関係にも興味があり、部活に入っていなくて暇だったのでまあえいいやって感じで入部しました。これが僕の高専人生を大きく変えました。

 
放送部での思い出

僕は入部した当時は音響に関する知識はほぼ無く、全てのことが新しいことでした。しかし、音響には多少は関心がありましたし、放送部で知識を身につけ、機材を動かし、音を出すことがとても楽しかったです。

僕は高専を辞めて大学へ行きますが、行った先でも是非PAができるような組織に入ってより知識を深め、技術を磨きたいです。(勉強をしろ)

また、奈良高専の放送部にはさまざまな人がおり(放送部だけではないですが)、そのような人々と過ごす日々もとても楽しかったです。

高専に入ってから寮生と留年以外での人の繋がりは、ほぼ放送部でできたと言っても過言でないと思います。放送部にはさまざまなタイプのオタクが多く居り、さまざまな影響を受け、部活動を通じて一緒に目的を成し遂げるという点で人間的に成長できたと思います。そのような点においても入部する前より成長できたと思っています。

 

 イベントごとの思い出

ここからは、イベントなどで特に印象に残っていることについて書きます。

 軽音部との合同練習

放送部との合同練習では、前日の設営やリハーサルについてが特に思い出深いです。

特にドラムセットのマイクのセッティングについてはどのようにセッティングするのが好ましいのか様々なweb上の動画をみて色々考えてみていたこともありました(テスト期間中に)。

また、当日は色々と思い通りに行かないことだらけで壁を乗り越える感じが楽しくてたまらなかったです。未だに壁は超えれていないと思いますが、確実に上ってはいるなと感じていました。

高専祭でのPA

高専祭では他のイベントでの規模とは全く違うので、めちゃめちゃ大変ですがめちゃめちゃやりがいあります。

前年度の自分ではあまり分からなかったことが翌年度にわかるようになっていると、とても成長したなと感じます。高専祭の中でも一番印象に残ってるのはミキサーが高専祭期間中に逝ってしまった時です。

確か、1日目にミキサーが逝って20時くらいまで学校に残って翌日の始発で行って対応した(たぶんしきれてなかった)のは二度としたくないですし、後輩たちにもしてほしくないですが今となってはいい思い出だなと思います。

臨機応変に対応し、普段使わないような機材に関しても知識を修得しておくこと大切なんだなと痛感しました。

普段の日々

正直なところ、これが一番楽しかったと思います。部員のみんなとの何気ない会話だったり、やりとりとかそんなのがやはり放送部の思い出としては一番大きいです。(部員に影響されてオタク化したし)

クソ暑いのにクソ狭い部室にギューギュー詰めだったり、クソ寒い日にホットの缶コーヒーとアイスを食べたり、そんなことをしながら話している何気ない時間がすごい楽しかったです。(泣きそう)

こんなことはある程度コミュ力があれば別に部活なんかに入らなくても出来ることだとは思いますが、僕はコミュ力が皆無で放送部に入る前は何してたか思いだせないくらい何もしてなかったんで、今こうやって振り返ってみて放送部に居てよかったなと思ってます。

 

放送部にいて思ったこと

ここからは完全に老害の超主観的な意見、主張で長いです。(興味なければ飛ばしてください)

 

まず、部員全体に知識や技術が行き届いておらず特定の人の負担が極端に増えてしまったり、円滑に設置、運用が行えていなかったのではないかと感じました。これは教えるタイミングや教え方が悪かったのではないかと反省しています。(去り際に行った詰め込みがどう影響しているかは知りませんが)

 

次に、音に関する考え方です。突然ですが、「いい音」ってどんな音だと思いますか?

レコードのような柔らかい音が「いい音」と言う人もいるでしょうし、高音域が大きめで少し耳に刺さるような音が「いい音」と言う人もいると思います。つまり、人によって「いい音」は様々です。これらの「いい音」はあくまで主観的な考え方、感じ方に基づく「いい音」でPAにおける「いい音」とは全くの別物であると考えています。

そもそもPublic Address(PA)とは日本語にすると公衆伝達、放送設備です。放送部はスピーチをしている人の声を届けたり、楽器の音を大きくして届けることを行う部活であり、軽音部などのように何かを表現する部活ではありません。

PAを行う上での「いい音」とは柔らかい音や刺さるような音ではなく、スピーチや話し声を届けるのであれば、なるべくすべての人が聞きやすい音、演奏を届けるのであれば演奏者が出したい音こそが「いい音」と言える思います。もちろん、この場合の「いい音」も必ずしも正解があるものではないと思うので、常に試行錯誤をすることになります。

もし後輩がこのブログを読んでいるのであれば、PAをする人達は表現者であってはならず、ただの通過点に過ぎないという点を大切にしてPAをして欲しいと思います。(老害すぎてごめんね)

 

おわりに

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

最後がとても自己主張が激しくなってしまいましたが、僕は放送部に入るまでここまで熱中できることは無かったと思いますし、ここまで熱中できることに出会えてとても嬉しいです。PAはドカタなので絶対に仕事にはしませんが、先に記述したように大学に入っても絶対にPAはしたいですし、まだ自分に無い技術を身につけ、知識を貪欲に吸収していきたいです。

ありがとう、放送部

 

 

 

冒頭でも書いたようにこのブログはアドベントカレンダーという企画の一部で書いており、僕は絶賛受験中なお話を乗っけます。他の同期の方たちの面白いブログも是非見てみて下さい。

【Nara高専】僕たちの遺言集 Advent Calendar 2019 - Adventar

骨折しました

念願のADHD関連以外のやつが書けるようになりました。人生で初めての骨折です。

左足の小指を剥離骨折で全治1ヶ月って言われました。なんかそこそこ長いですね。

 

骨折した経緯について説明します。インフルエンザ大流行で学級閉鎖になってしまって何もやることがなかったので、とりあえずベッドに横になろうとしたのです。背面からベッドにダイブしようとしました。これが大きな過ちでした。最初はベッドに向かって体は正面にあったわけですから、背面からダイブするには方向転換する必要があります。左足を右斜め前に出して方向転換を使用とすると、ゴツッという音と共に左足の小指に激痛が走りました。左足の小指をベッドの足の角にぶつけてしまったのです。あまりの痛さに背面からベッドにだいぶすることは叶わず、横からダイブする感じで倒れこんでしまいました。まあ、足の小指をぶつけることなんて大して珍しいわけでもないですし、そのうち痛みも引くだろうとその時は思っていました。しかし、次の日になっても痛みは引きません。(ある程度は引きましたが。)しかも、歩くと痛くて若干腫れていました。靴を履くのですら痛いような状態です。まあそのうち治ると思いその日も寝てしまいました。翌朝、起きてもまだ痛いのです。あいにくの3連休の真ん中の日曜日で病院があいているはずもなく、学級閉鎖期間中である火曜日に病院に行くことにしました。

病院に行くと「あー、腫れてますね~ とりあえず骨折れて無いかレントゲン撮っておきましょうか」みたいな感じで言われてレントゲンを撮りました。左足を上、右、左、右斜め上の4方向から撮りました。そのあとに写真を見せられて「ちょっと小っちゃいんだけどわかるかな?この米粒みたいなの。剥離骨折だね。大体一か月くらいじゃないかな。」って言われました。人生で初めての骨折でちょっと嬉しかったんですけど、骨折エピソードにしては弱すぎますし、剥離骨折というのがまた微妙な感じでうーんという気持ちになりました。そのあとにギプス(取り外し可)をして貰ったんですけど、大変なのはここからです。

ギプスをした状態で入る靴が無いのです。家のベランダサンダルがとりあえずギリギリ入ったのでそれを履いてサンダルを探す旅に出ました。スーパーの日用品売り場とか、ホームセンターとか多分5件くらい探し回ったんですけど無くて仕方ないので家のベランダサンダルで学校に行くことにしました。しかし、ベランダサンダルは底が固く、サイズが明らかに小さいので、かかとへのダメージが大き過ぎました。なので、再びサンダルを探す旅に出かけました。そして、コーナンでついに見つけました。コーナンは神です。

それにしても足の小指でも骨折ってつらいですね。自転車に乗れないので、早めにでてバスに乗って通学しなければいけませんし、電車も満員電車を立っていなければいけなくて、左足の踏ん張りがきかないので座りたいです。特急に乗ろうか迷うレベルです。

 

皆さんも足の小指をぶつけるのには注意しましょう。そして、電車などでケガしてそうだな~って感じの人を見かけたら席を譲ってあげてください。

4回目の病院

年明け前に4回目の病院行ってました。4回目にもなってくると病院行くのも慣れてきますね。診察も心なしか短くなってきたような気がします。3回目と薬の量は同じで朝25mg夜40mgで1日65mgです。今回からジェネリックが出たので薬価がだいぶ下がりました。

 

前回の記事で勉強にスムーズに取り掛かれるようになったとか書いてたと思うんですけど、成績の数字として見てみても上がってたんでやっぱり効果はあったのかな~と思ってます。まあ気持ちの部分もあるとは思いますが。

 

そろそろADHD関連以外になんか書きたいです。病院行きました報告しかしてなくて自分の中でもブログの存在意義とはみたいな感じになってきてるので...(とかいいつつ次回も病院行きました報告な気がしますが)

3回目の病院

このブログの存在をすっかり忘れていました。まあ、テスト前だったこともあったんで仕方ないと思うことにします。

 

前回の記事で”胃薬を服用されてから唇の傷がおさまりました”みたいなことを言っていましたがあれはウソです。あれからも割とよく切れます。ということで胃薬の服用をやめて、肌荒れとかに効果があるチョコラBBの服用を開始しました。大体1か月服用を続けた感じだと切れる回数はずいぶん少なくなりました。薬を安定量までもっていく間はこれで様子を見る感じになると思います。

 

3回目の病院でストラテラの量が1日2回各25mgだったのが、朝25mg夜40mgに増量して1日50mgから65mgになりました。朝と夜で薬が違うのが少しややこしいのが少し難点です。

 

ここからはテスト期間中のことについて書いていこうと思います。

前回までのテストだとそもそも勉強をしようと思っても出来ないとか、取り掛かり始めてもすぐに気が散ってしまって勉強がなかなか進まないということがほとんどでした。ですが、今回のテスト期間では今までよりはスムーズに勉強に取り掛かれたり、取り掛かり始めてからの集中力がよく持続するようになった気がします。特に、取り掛かり始めてからの集中力の持続に関しては大きな力を感じています。この調子ですんなり勉強できるようになれればいいな~と思います。

2回目の病院

見事にブログが三日坊主になってしまいました。更新頻度減らします。

 

実は前回のブログを上げた後に二郎系を食べると、唇が切れて口内炎が舌にできるようになってしまいました。4回食べて4回ともだったので恐らく二郎がトリガーです。そして、先週に病院に行った際に相談してみたのですがストラテラにそんな副作用はない(知ってはいましたが)と少し困惑したような感じで言われたものの、副作用は人それぞれなのでと言われて胃薬と口内炎に塗る塗り薬を服用されました。それからは唇の傷はみるみる内に治っていき、口内炎もおさまり増した。二郎系ではないですが、天一こってり並+チャーハンセットを食べても大丈夫だったので多分二郎も大丈夫です。今度試します。

それと、ストラテラの服用量が1回15mgから25mgに増えました。最近の変化としては、朝の目覚めが良くなりました。今まではなかなかアラームで起きれなかったのですがアラームですぐに起きれるようになりました。

 

次回の病院で自立支援医療(精神通院)について色々進めていく感じなのでそのことについても記事にできたらな~って思ってます。そろそろ他のネタで記事を書きたいです。